週記(2020.3.14〜3.20)葉桜をやってみる/無観客
土曜日は雪と雨が混じって大変に寒かった。
それでも楽しみなことがあると出かける気になれる。
この日は、アムリタの荻原さんと水道航路の新上くんとで集まって話す会があった。
荻原さんから岸田國士の「葉桜」をやりませんか、と誘っていただいたのがきっかけで、1年と少しの長い時間をかけて「葉桜」をテキストに使いながら、試行錯誤しましょう、という集まりだ。この集まりを、今は便宜的に「葉桜をやってみる」という名前で呼んでいる。
「演劇をする」とはどういうことなのか、から考える集まりになるだろうから、公演という形は取らないかもしれない。「葉桜」の題材では結婚を扱っているから、私は「結婚式の形」についてと、夫婦別姓について考えたいことを伝えた。後は「血盆経」に興味があるので、そのことも調べられたら楽しいと思う。
とにかく荻原さんも新上くんも面白いものをつくる人だし、きっと良い集まりになるのではないかとワクワクしている。
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無観客という状態がなんとなく、こわい。「会場に行かない」という状態に慣れていく自分がこわい。
場に向かう時の足取り。休日に少し遅く起きて、朝兼お昼を軽く食べて電車に乗る。劇場に着いて1時間半ほど座って劇を観る。照明の光がまぶたを透かして目に入ってくる。信じられないほどの暗さにもなる。音が体にズンと響いて、心臓やお腹のあたりで波になる。
終演後は知り合いがいれば一緒にお酒を飲むかもしれない。一人でじっくり考えたければ街をプラプラと歩く。行きと同じ電車に乗って足元をジッと見ながら家まで帰る。手洗いとうがいをして、お風呂を磨いてお湯を溜めて入る。上がったら歯を磨いて髪を乾かして寝る。数日後か数年後、この作品のことを思い出す。行った街のことと、終演後のお酒のことも一緒に。
このちょっと面倒臭いような「演劇をお持ち帰りする手間」を、それでも楽しみな「お出かけ」として予定に入れておくことの救いのようなものがある。
ネット配信があればその場に行かなくても作品を見ることができる。
以前からそうやって作品をライブ配信している団体はあったし、私自身様々な理由で会場に行けない時、取りこぼされていないようでとても嬉しかった。
それでも私はわざわざ会場に向かう。先程書いた自分自身の体験のためでもあるし、なによりライブなら客席の歓声ごと、舞台ならば笑い声や感嘆のため息ごと、「場」で共有される客席の反応も作品の一つだと思っているからだ。
何度同じ舞台を観に行っても、客席の反応は毎回違う。よく笑う人が多くて和やかなムードになる回も、真剣に観入ってピンと空気が張り詰める回もある。それは舞台上の人間にも伝わっているのだと思う。劇場では「見る」「見られる」の一方向な関係ではなくて、もう少しインタラクティブな関係が構築されている、と思う。それがとても面白い。
無観客という状況は本当に、今の時勢に対してなされる苦肉の策なのだろう。だからこそ観客である私自身はそれに慣れ切ってしまわぬようにしないと、落ち着きを取り戻した後も劇場に向かわなくなってしまう気がする。
あるいは「関係」を担保できる方法を考えたほうがいいのかもしれない。