幸せに生きる覚悟ができたから、これから「家族」を語り直します

離婚してからずっと楽しい。

マリオがスターを取った後に流れる音楽が頭の中に鳴り響いたままもうすぐ二年が過ぎようとしている。

インターネットがまだシェルターの役目を果たしていた時代、マリオのスター状態の音に「だんだんなんか簡単になったん」という空耳歌詞が付いていたことを思い出す。だんだんなんか簡単になったん、だんだんなんか簡単になったん、と口に出しながら、ありがたいことに、離婚して本当に人生が簡単になってしまったことに想いを馳せる。

離婚してしまえば(少なくとも私の周りでは)結婚しないの?なんていうことを言う人はいなくなった。20代前半の頃にあれほどうるさかった多くの他人が、気まずいのか関心を失ったのか、それともこいつ結婚向いていなかったんだなと思ってくれたのか知らないが黙してくれている。どうぞそのまま口を噤んでいてほしい。
一番ありがたかったのは親が全てを諦めて、「好きに生きなさい」モードに入ってくれたことだった。
おかげさまで本当に好きに生きている。

離婚前に友人夫婦に誘われて、共通の友人も交えて一緒に暮らすことになって、ずっとやりたかった演劇をやってみたり、餅つきがしたくなって人を集めて餅をついたり、文章を書いてみたり、本を作ったりした。
もうずっと楽しくて楽しくて、その間鳴り響くマリオの曲がいつ鳴り止んでしまうのか気が気でなかった。

今まで、私にとっては辛さや悲しみを煮詰めて過ごすことの方がよっぽど楽で、幸せに生きようとすることの方が何より覚悟のいることだったように思う。

一緒に暮らしていた友人夫婦から、今度東京の文フリで「家」について考えるZINEを頒布するんだけど、寄稿してもらえないか、と依頼が来た。創刊号のテーマは「家族」についてだった。二つ返事でOKした。

最初は、数年前に家族について悩んでいた時のことを書こうと思った。田房永子さんや信田さよ子さん、永田カビさん、大月悠祐子さんを始めとした人々が勇気を持って表現してくれた言葉たちに癒されたこと。家族の間に起きたさまざまな出来事。

けれど書いていくうちに、ぱたり、と筆が止まってしまった。私の中に、それらを書くなにかが、もう残っていない。あんなに悩んで憎んで苦しんだしこりが、すっかりどこかへ行ってしまっている。
許した、ということではない。むしろ、辛かった日々を辛かったと認めてしまえている。あんなことしてあの時のあの人べらぼうに酷かったな、と、はっきり言えてしまう。
だからこそ、もう書くことがない。私自身が、明らかに当時の苦しみに対して関心を失っている。

これは決して、苦しみの最中にある人に対して、相手や環境を許せ、と言っているのではない。そんなことは口が裂けても言いたくない。あなたは、あなたを不当に扱った人を、許す必要などない。

ただ私は、しっかりと過去を憎んで憎んで憎みきった後、どうしたら過去の自分を救えるだろうかと考えた時、もっと社会のことを知りたくなったのだ。あの頃の私達を取り巻く環境、社会的な立ち位置、この形に至るまでの歴史、それらを知れば知るほど一家庭の問題で収めていいような話ではないと思い始めた。

「生きる」こと。未来を考えることは怖くて恐ろしい。死に安堵して救われた日々がある。その日々を否定したくない。けれど、過去の私を救うために、私は「これから」を過ごしたい。

友人夫婦の柿内君と踊るうさぎちゃんの「家」に関する取り組みを聞いた時、これだ!と思った。
これからの生活を、暮らしを、家を、考えること。
大丈夫。曲は鳴り響いている。

今まで書いていた原稿を全て捨ててしまって、楽しかったことと「これから」について書いた。するすると5500字ほど書いてしまって、ああ、私は今これが書きたかったのか、と納得する。

幸せに生きる覚悟ができたから、これから過去を救いに、何度だって語り直す。

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2019年11月24日(日)文学フリマ東京
【ネ−14】零貨店アカミミ
「家」を考えるための雑誌『ZINEアカミミ創刊号 特集:家族』
渋木すず 寄稿「パーティーはこれから」(一部抜粋)

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