ギャルにはなれない

今ではもう考えられないことだが、その昔、私は日曜の朝に早起きするのが好きだった。
決まって家族の中で日曜に早く起きるのは、私と、父だった。父と二人きりの朝に、おいしい食パンの食べ方を教わった。

買いたてのふかふかの食パンを、焼かずに、中にブルーベリージャムをたっぷり入れて、折りたたむ。そして、折りたたまれた真ん中の白いところから、がぶり!と行くのが最高なのだ。
我が家は6枚切りのパンを買っていたから、折りたたまれたパンは結構な分厚さで、まだ幼い私にはなかなか、がぶり!と一口にいけないのだった。

父が亡くなったのは20年前の2月24日だった。
その10日前、2月14日に、父は行きつけの飲み屋で、ママから貰ったチョコレートを大事そうに持って帰り、その次の朝、いつものように早く起きた私にこっそり分けてくれた。

小さな箱の中に3つのテディベアの形のチョコが並んでいた。
ブラックチョコと、ホワイトチョコと、ミルクチョコだった。
父は、お母さんには内緒ね、と好きなチョコを選ばせてくれた。私はミルクチョコを選んだと思う。
父は甘いものが好きだったから、ブラックチョコじゃなくてホワイトチョコを選んだ。そして、残りのブラックチョコはお兄ちゃんの分ね、と、またそそくさと大事そうに棚にしまった。

私には、どうして内緒なのかということがよく分からなかったし、そもそも「内緒」というものがどういうものか分からなかったので、早いうちに母にチョコの話をしてしまった。
母は苦笑いしたような呆れたような顔で、まったくもう、別に内緒にすることもないのに、それとも飲み屋のママに期待でもしてるのかね、というような事言った。その日の間には、父のチョコの件は、すっかり家中の話題となり、笑い話となってしまった。

その数日後、父が突然倒れた。くも膜下出血だった。

放課後に病室へ通う日々が続いた。父には意識がなくて、母は医者の先生とお話をしていて、やることがなかった。
暇を持て余す私に、兄が売店でりぼんを買ってくれた。1999年3月号。
「こどものおもちゃ」を描いた小花美穂の、「水の館」の前編か後編が載っていたと思う。
この日から、私は毎月りぼんを買うようになった。

父が亡くなったあとは、ひたすら漫画を読んだ。
りぼんが大好きで、特にお気に入りだったのが「GALS!」だった。
正義に溢れる強いコギャルたち、自由な世界、物語の恋愛、染めた髪の毛に青や赤のメッシュ!

私はもうブクロに行きたくて行きたくて仕方がなかった。
胸を寄せてあげるとはいったいどういうことなのか。
よく分からないが、大きくなったら自動的に寄せてあがるのだろう。ブクロってすごい。底上げブーツを履いてブクロの街を駆け抜けたい。
蘭みたいに走り回って、なにかわるいことをしている大人とかを倒したい。

と、いうような漠然とした憧れを、母にそれはそれは楽しく話した。わたし大きくなったらブクロに行ってコギャルになるんだ!髪にメッシュ入れてピアスとかするんだ!

母は、信じられないほど激怒した。「あんたが!!グレたら!!!!お父さんに申し訳が立たないでしょうが!!!!!!」

私は決してグレようとした訳ではなく、ただ参照する憧れの楽しい女の子がGALS!の蘭だっただけで、むしろ私は蘭派ではなくて知的ビューティーな綾派なんですけど、というようなことを言う隙間もなく、それはそれは叩かれた。

父亡き後、母も周りからのプレッシャーを受け、幼い私をどう育てて行くのか考えるあまり、余裕がなかった。
実際、母子家庭、ということに対して、偏見を受けることもあった。必要以上に、私たちは静かに暮らさなくてはいけなかった。
あのころは家族全員が、必死だったのだと思う。

そして、「こんなものがあるから!こんなものがあるからいけない!!!!」と言って、GALS!の単行本1巻をビリビリに破いてしまった。
その瞬間はびっくりして、泣けもせずにただ、お母さん凄い腕の力だな、と思っていた。

それからGALS!ではないのに、水の館とか、ギャグ漫画の単行本とかも、とばっちりでビリビリに破かれてしまった。兄がお小遣いで買ってくれた漫画だった。
そこまでされてやっと事態が呑み込めた私が、泣きながら、おにーちゃんが、おにーちゃんが買ってくれた、と言っていたら、気づいた兄が母を止めた。

ちょうど母は、私が当時一番大切にしていた、おまじないの本に手をかけていたところだった。
この本は古今東西色んなおまじないが書いてある本で、父と行った本屋で、特別な日でもないのに欲しい!とわがままを言って買ってもらった本だった。
結構分厚い本だったので、母も本を破けず、仕方なしに表紙だけくしゃっと丸めたところだった。

兄が、母さん、それは、父さんが買ったものだから、だめだよ、と母をなだめた。
母の怒りはおさまり、わたしはゴミ箱からくしゃくしゃになったおまじないの本の表紙を取り出し、まっすぐに伸ばして、本に着せてやった。

薄かった単行本のGALS!はビリビリになってしまって、息を吹き返しそうになかった。

それからずっと、ギャルになりたい、というのは、私にとって禁句だった。
少し落ち着きを取り戻した母は、ギャルになるよりはオタクになった方がいいと思ったのか、あれ以来私が漫画を読むことには文句を言わなくなった。

あまりにのめりこんで漫画を読みすぎ、メガネになったので、見た目だけは真面目に見えるポジションにおさまった、と思う。
そんな自分には、年相応のオシャレも難しい気がした。

10年経って大学生になっても、心の中にはずっと破かれたGALS!の遺体が安置されていて、髪を染めている子を見る度に、GALS!の亡霊が「なんて不真面目なんだろう、まだ学生なのにさ!」と言うのだった。
だけど大学を卒業する頃、とうとう母にも、あんたちょっとはおしゃれしなさいよ、髪を染めるとか、ピアスをするとか、と言われて、言われる度に、私の心は、あの時のおまじないの表紙のように、くしゃくしゃ、となった。

初めて髪を染めたのは26歳になってからだった。
結婚して自分の親と離れて、他人の家庭の親を見て、なんだか、親っていうものは別に絶対的なものじゃないんだな、ということと、あのころは、ああ、仕方なかったんだな、という気持ちになった。
仕方なかった、というのは、それで起きたことのすべて、あの時の気持ちや、あの時の情景を、なくなったことにするとか、そういうことではなかった。
ただ、もう私は、私を許してやればいいかな、という気持ちになってきていた。

仕事も休職中だし、なんか、もう20も後半だし、そろそろいいかな。そろそろいいんじゃない?むしろ、もう遅いかな。学生の頃にやっとけば良かったかな…と悶々しつつも、私の心のGALS!達が、やれ!と言ったので、なじみの美容室で、ほんの少し茶色に染めてみた。

なんということはなく、ほんの少し垢抜けて、ほんの少しオシャレになって、ただ、髪を明るく染めている人たちへの強い嫌悪と羨望がなくなった。
染めてくれた美容師さんに、「綺麗な色に染まったねー!元の髪の毛の色が明るめだから、オリーブ色になって素敵!」と言ってもらえた。

あ、そっか。そうだった。忘れてたけど、私は真面目な優等生じゃなかった。正しさとか、そういうもので武装していたけれど、ただ、好きに生きている人が、羨ましくて羨ましくて、憎かっただけだった。

ずっとずっと肩に乗せていた、なんだかものすごく重い荷物を、どすん、と降ろしたようだった。

今でも、MARY QUANTとか、JILLSTUARTとか、INGNIとか、Samantha Thavasaとか、結局いつ買えばよかったのか分からなかったな、と思う。

正解は分からない。多分これからもずっと、正解は分からないまま、ギャルにはなれないまま、でもちょっとだけ生き返った「GALS!」を胸に抱いて、好きなものを好きに身につけて、生きていく。