紅茶日記:2021/8/29

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11時頃ゆっくりと起きる。昨日スロークッカーで仕込んでおいた牛の赤ワイン煮を見ると、かなり煮崩れている。見るからにホロホロで、良い香り。成功していそうだ。むしろお肉が完全に溶けてしまったのではないかと心配になる。お玉でかき混ぜると、トロッとしている。にかわってこうやって作るんだったか。骨や筋がとろけてしまうくらいだから、お肉を低温調理すれば簡単に液体になってしまうのも頷ける。幸いにもまだお肉はギリギリ形をとどめていて、スロークッカーの電源を切った。

普段三食きっちり食べる夫も今日ばかりは私のダラダラに付き合ってくれた。夫は朝ごはんも食べずに自転車でお気に入りのケーキ屋さんに行ってくれて、私は私でご飯の準備をする。待ち合わせて、お店を5軒まわって美味しいパンや追加の食材やワインを買って、家に帰ったら付け合せのマッシュポテトを作った。

気になってたお店の前菜の盛り合わせと、牛の赤ワイン煮込みとマッシュポテトとチーズはこれ以上ないくらいごきげんなラインナップで、赤ワインも白ワインも美味しくいただける。だらだらと15時くらいから飲んだり食べたり、映画を観たりして過ごした。

観たのは老人Zだった。幼稚園か小学校低学年かの頃に家族で観て以来だ。実家では母が老人Zのシーンの物真似をいまだに行うくらい、一家で大ハマリしていた。私自身にも面白かったという記憶があって、でもだからこそいま見ても面白いか不安だった。観始めてすぐ、それが杞憂だったと思えて、そのまま最後まで楽しく観た。子供の頃はわからなかったけど、はるさんはHALから来てるのかな、とかを考える。

兄の影響でかなり幼少のころから、アキラや老人Zやエヴァに触れて、そのあと小学生の時にぼくらのウォーゲームに触れていて、それが自分の好みや人格の少なくない部分を占めているという自覚がある。そういう自分にとっての原体験を、改めて大人になってから触れるとき、いつも怖くなる。もし作品がいまの自分にとって辛いものだったら、私自身の好みや価値観の部分を根本的に疑わなくてはならない。でもいつだってそうやってきちんと疑っていきたい。昔面白がっていたものが、今面白いのか?に、自覚的でありたい。だから、昔面白かったものを今も面白がれたとき、本当に感動するし、それはあのときの面白さよりいっそう輝いている。なにはともあれ、老人Zは本当に観て良かった。

自分へのプレゼントとして買ったヤドンのぬいぐるみを夫がたいそう気に入ってしまい、お風呂も入らず抱きかかえて寝てしまった。まだケーキも食べていない。あんまりにもヤドンとスヤスヤ寝ているので、起こすのも可哀想だからこのままひとりでショートケーキを食べる。私用のケーキはもう一つ買ってあるので、明日はふたりで一緒に食べよう。

一緒に淹れた紅茶はここぞ!とばかりに濃厚で渋みがあり、ミルクがよく合う。色々飲んだが、渋みが多少あったほうが好きかもしれない。今日は、もう過ぎてしまった私の誕生日のお祝いだった。