週記(2020.4.20〜4.26)生活の手応え

ソラリス(ぬか床)がふかふかしすぎて過剰発酵なのではないかと心配になった。
Yahoo知恵袋か何かに、最初は乳酸菌のエサがたくさんあるので発酵し、エサを食べきると落ち着く、とあったような気がするのでそれを信じて待った。
予言の通り今はふかふかが落ち着いて、ねっとりとキメの細かい床になっている。高校生の頃に陶芸をやっていたのだが、その時に触っていた土のねっとり感に似た感触だ。
きゅうりやカブやにんじんを漬けてみた。美味しい。まだほんの少ししょっぱいが、お茶漬けと食べると最高で、食卓の良い彩りにもなってくれる。

更に味に深みが欲しくて調べると、何より一番大切なのは「時間」ということであった。昆布や椎茸や鰹節を入れても良いけど、一番効果があるのは時間をかけて長くぬか床と付き合うこと。
人生で裏技ばかり使って生きてきた飽き性の自分に、「時間をかけて取り組む」ことが必要なぬか床は少しホッとする。

いつだか登山家の人がテレビで言っていた。
山に登ると、命ギリギリの危険な判断を迫られることがある。一面吹雪でこれ以上進むとまずい、しかしあと少しで登頂できる。
そんな時、香水を嗅ぐのだそうだ。「帰りたい、帰らなきゃ」と正気に戻って、下山の判断ができるらしい。だからその人は女性の香水をいつも持っている。恋人か、家族の使っているものだったかもしれない。

リモートワーク中、仕事で疲れるとちょいちょいぬか床の香りを嗅いでいて、この話を思い出した。ああ、「おうち」に帰らなきゃ。「自分」に戻らなきゃ。そう思って、気を取り直してまたパソコンに向かう。登山家の香水と私のぬか床では匂いが違いすぎる気もするが、今はそうやって正気を保っている。

水曜日からギターのFコードだけ練習し始めた。
ギターを弾いてみたいな、とつぶやいたら、同居人が「やってみる?」と押し入れからギターを取り出してきてくれた。
色んなお話の中で「Fコードが難しくて挫折する」というエピソードを聞いたことがあるけれど、それがどうしてなのか分からなかった。

Fコードを弾けるようになったら自信が持てるかもしれないと思い、やり始めてみて分かった。世のギタリストは魔法使いである。一体これはなんなのだ、この細い弦のところをどうやって人差し指の付け根の方で押さえるのだ、というか他の弦に指があたっちゃダメとか繊細すぎる、指がつりそうだ、と思いながら毎日ひたすらFコードの練習をしている。

ギターが弾けないのに何故かFコードだけ綺麗に弾ける老人になったら面白いだろうな、とも思ったが、ついでにAとEというものも教えてもらった。適当にジャカジャカしていると曲っぽくなって楽しい。
あとはジョジョのエンディングでおなじみ、YESのRoundaboutの最初の「ッポーン」という音の出し方を教えてもらったので、そこだけ練習している。

具体的にこの曲が弾きたいというのではなく、気になるあの曲のあの音の出し方はどうなっているのか、ということが知りたかったようだ。なんだかマジシャンに種明かしをしてもらったような、魔法使いに呪文を教えてもらったような、嬉しい気持ちになっている。

葉桜の稽古3回目は、前回に引き続きリモートだった。
今回はDiscordで声のみの通話だったが、何故か前よりもスムーズにできたように感じる。オンライン慣れしてきたのかもしれない。
今回は読む役を決めたことも大きかった。新上くんが母親を、私が娘を担当したが、前回より集中して言葉の意味を咀嚼できたような気がする。やっとテキストの面白さがわかってきた。配役を逆にしてやってみたいね!となって、次回へ持ち越し。楽しみだ。何より、近況を直接伺える人がいるのは幸せなことだな、と思う。

仕事の都合でリモートともしばしのお別れ、週の終わりからまた電車に乗る日々を送っている。以前では信じられないくらい空いた電車で席に座ることもできる。
分からなくなる。私は今、正気だろうか。ぬか床と、ギターと、演劇の稽古、豆苗を育て三つ葉を生やすこと。そうやって日々の生活をやっていくことだけが、今はただ、確かな手応えになっている。