- TOP
- >
- エッセイ
- >
- Happy Birthday to my body!
- >
- 股の毛会議
股の毛会議
またもや毛の話になって申し訳ないのだが、先日数年ぶりに脱毛に行った。
脇とVIOにレーザーをあててもらう予定でしっかりと剃って医療機関に向かった。
看護師さんに剃り残しがないかチェックしてもらう。脇の方は軽く剃ってもらってOKだったのだが、問題は下の方だった。どうやらVとIの間の部分の解釈に違いが生じたらしい。
「あー、ここの毛どうします?ここも一応Iなんですけど。」
「え?」
「ここも剃れるんですけど、残しますか?」
「ちょっと待ってください、見てもいいですか」
すでにレーザー避けの重い目隠しをされていて、何やら毛をファサファサされていることは分かるのだが状況が把握できない。咄嗟に放った一言のせいで、いいですよ〜と気さくに目隠しを外されて、一緒に毛を見ることになってしまった。
「こことここの間を残されているんですけど、一応うちの基準ではここもIなので剃れるんですよ。残しますか?」
「ああ〜あんまり剃っちゃうと丸見えになるのが恥ずかしくて残してたんですけど、ここもIなんですね〜え、どうしようかな…ほ、他の人はどうしてますかね…?」
「結構剃ってらっしゃる方が多いですね、もう全部やっちゃってる人も多いです」
「あ、そうなんですね、そっか」
「まだ脱毛の回数残ってらっしゃいますし、今回はレーザーを打ってしまって、次回考えられてもいいと思います」
「なるほど、じゃあ清潔にしたいし、打っちゃいたいので剃っていただけますか」
「かしこまりました」
「すいません、なんか自分だとデザインとかよく分からなくて」
とんでもないです、大丈夫ですよ、と言いながら看護師さんは慣れた様子で毛を剃ってくれた。その後も、看護師さん自身も最近脱毛を始めたことや、どれぐらい回数を重ねたら薄くなるかなど雑談をしつつ、素早く丁寧にレーザー照射は終わった。
家に帰る電車の中で、先程の奇妙な体験を思い出す。
あんなにしげしげと、他人と一緒に自分の股を見たことがあっただろうか。
看護師さんはとても真剣に、しっかりと私の毛のデザインについて提案してくれた。不思議と恥ずかしさがなかった。思い返すのはただ安全で、公平で、優しい時間だった。
私の『股』の意味合いが削がれ、ただの身体として、私自身の毛に関する自己決定の場として、あの時間はあった。
下の毛のデザイン会議。そこには何らかの社会的な意味合いの眼差しはなく、看護師さんは一人のプロとして、私の身体を見てアドバイスをし、私は私自身の満足のためにそのアドバイスをもとに自己決定した。たったそれだけのことに、ひどく安心して、泣きそうになった。
実は、最近は身体改造にハマっていて、こうしたプロの話を聞く機会が増えている。
花粉症の鼻詰まり予防に鼻の粘膜をレーザーで焼いた時も、耳鼻科の医者には内視鏡の映像を見ながら「こちら側に鼻の中が曲がっているので左の方が詰まりやすいですね、多めに焼いときますね」と言われて納得したし、胃腸が悪くて胃腸外科に行くと、聴診器を当てられて「ちょっと珍しいくらい腸が動いてますね、辛かったでしょう」と言われてそうだったのか、と驚いた。
矯正のために歯医者に行けば自分の歯の3D石膏モデルをプレゼントされ、「歯が全部内側に傾いてて口の中の骨が凸凹ですね〜」と楽しげに報告されたし、パーソナルカラー診断に行けば、似合う色に加えて、骨格と顔タイプを見て似合う服やアクセサリーも教えてもらった。初めてのピアスだって、医者が位置のアドバイスをしてくれて、無事に開けることができた。
こうしたプロのアドバイスを受けていると、そこにあるのはただただ客観的に見た物体としての身体だけで、私も自分の身体を急に冷静に見ることができた。いつも薄ぼんやりと全体を俯瞰して捉えていた私の身体の、一部分だけを精密に見ることで、はっきりとクリアに捉え直すことができたのだった。
嫌なものをぼんやりと見てしまうように、いつも鏡を見ると何となく嫌いな自分の姿があった。でも、私の歯は内側に傾いていて、私の右目は少し視野が欠けていて、私の鼻の内側は左が曲がっていて詰まりやすく、パーソナルカラーはファーストがスプリングでセカンドがサマー、骨格はウェーブで顔はソフトエレガント、そうした情報を得て見た鏡の中の私は、別に好きでも嫌いでもない、でも自分を知った分似合うものが見つかってちょっといい感じの、普通の人間だった。
ここ最近は、過度に自分を嫌うこともなくなっている。素顔が嫌いだからとかけていた眼鏡も、たまに外してコンタクトをするようになった。髪を明るめに染めて、まつげパーマもかけてみた。
今日も鏡を見ると、そこにはただただ自分がいる。