週記(2020.3.21〜4.5)古典のD先生
こたつをしまった次の日に雪が降ってしまったこととか、桜が長持ちに感じることとか、読んだ本がとても面白かったとか、他にも色々と書くつもりだった。けど、何を書いても何を書かなくても上滑りしてしまいそうで書けない。言及することもしないことも一つの主張のようになってしまう。
葉桜をやる会の2回目は雪と私の頭痛のために稽古がなくなった。その後荻原さんがご自身のTumblrで今の状況をこんなふうに書いていた。
まずきちんと生きられること、見る人も、演じる人も、そういうふうにつくり手の安全が守られることが、演劇の土台である。わたしが政治や人権の問題を気にしているのは、社会の一員であるためでもあるが、心置きなく演劇をやるためと言ってもいいと思っている。
最近は高校生の時に受けた授業のことばかり思い出している。
古典のD先生は怖いことで有名で、とは言ってもやるべきことをやらなかった時(宿題をやってこなかったり、事前に予告した小テストが酷かったり)に淡々と広島弁で「論外じゃね」と言うような人だった。
理不尽なことは言わないし、怒りではなくて叱りをする人だったから、授業が楽しかったのもあってD先生のことは好きだった。
漢語の授業だったと思う。ある日、D先生がこう問いかけた。
「この時代は文学がとても盛んでした。なんでだと思う?芸術が盛んになる時って、どんな時でしょう?」
ぼーっと、なんでかな、と考えていたら先生に当てられてしまって、とっさに答える。
「戦争がなかった、からですか?」
先生は、そう、とうなずいてから説明してくれた。
「戦争や争いがない、ということもそうだね。つまり、平和だったってこと。この時期は疫病や飢饉に見舞われることが少なかったんです。」
なんでか14年間たった今この時もこの言葉を覚えていて、脳内ではずっと、D先生の凛とした声がリフレインし続けている。