円盤に乗った日

私が初めてsons wo:(注1)を観たのは『仏門オペラ』で、大学2年生の頃だった。
演劇サークルの同期が出演していたのと、作・演出のカゲヤマ気象台(注2)も同サークルの出身者だったので、2年生のみんなで観に行ったのだった。

私はその頃サークルを辞めようかと思っていて、それは、なんとなく、に近いものだった。決定的に何かが合わないということではないし、でも、なんとなく大学で触れた演劇(学生演劇、と呼ぶのが好きではないからこう呼ぶが、つまり学生演劇)にあまりしっくりと来なかった。

そんな気分の中観た仏門オペラは、最高に面白かった。本当に訳が分からなかった。
だって、セリフは全然ハキハキしてなくてゴニョゴニョ話してるし、舞台上の人たちはほとんど静止しているし、かと思えば唐突に動き始めるし、話してるのに目線も合わさないし、会話なのかこれって感じだし、同期の役はそもそもちゃんと話してないし(日本語の台詞の字幕が上に出ていた)。

そうして必死に人物の言葉を、行動を追っていくうちに、なんでこんなに面白いのか分からなくて半分パニックになりながら、心から笑っていた。

こんなの知らなかった。分からないのに面白い事があるなんて、私はそれまで知らなかった。
結局、その後もサークルには留まった。今までの自分の世界の狭さが分かって、肩の荷が降りたようだった。あんな演劇、ありだったんだ。そうか。なんでもありだったんだ。


それから約7年の時が過ぎて、sons wo:がその活動をやめる、ということを知った。

私は大学を卒業した後、地元に戻って就職して結婚していた。もう、演劇にはほとんど触れていなかった。サークルの同期が、ずっと続けていた演劇を辞めるという話も聞いた。

24歳で結婚した途端、職場の「若い女」枠から外されて、楽になったと同時に今度は「妻」としての立ち居振る舞いを求められた。そして27歳では「母」になることを。そこでは分かりやすい「キャラ」が、「立場」が、必要だった。
もうダメなのだ、と思った。このまま過ごしていては、もう、私の未来には何もないのだ、と。

そうして夫に離婚を切り出し、別居を始めた頃。
2018年2月。sons wo:最後の公演タイトルは、「流刑地エウロパ」。

東京へ久しぶりに演劇を観に行く。sons wo:が終わる。なんだか、自分自身が大学生の頃に感じていた、無敵の「可能性」が終わってしまうようだった。

劇場は廃墟。とても静かで、冷たい。何人か知った顔を見つける。友人、先輩、後輩、みんながsons wo:の終わりを見届けに来ている。

劇が始まった。訳が分からないまま、私はあの頃と同じように心から笑った。卒業してからずっと欲しかったものだった。私はこれが欲しかった。

もうすぐ劇が終わる。おかしい。なんだ?この違和感は。sons wo:は劇団として終わるはずでは無いのか?なんでこの劇は、こんなに未来へのやる気に満ちているのだ?
終演する。訳の分からないまま慌てて当日パンフレットを開く。『円盤に乗る派』?(注3)

えっ、終わらないの?

観に来ていた友人と先輩に声をかける。4人とも、「どう考えても終わらないよねぇ?」と、やっぱり私と同じような表情になっていた。
先輩なんかわざわざ名古屋から駆けつけてきたのに、怒るでもなく、「明るい終わりで良かった、まだまだ演劇やる気で良かった」とニコニコしている。

拍子抜けしてしまって、そのまま4人でご飯を食べに行く。
友人夫婦に離婚することを話したら、「じゃあ、私たちと一緒に暮らさない?」と提案された。なんだ、その訳の分からない同居生活は。面白そうじゃないか。
答えはもちろん、OKだ。

そうして、半分感傷に浸るつもりで来た東京で、そんな暇もなくあれよあれよと住む場所が決まり、就職が決まり、演劇に関わることになり、地元に戻っていた4年の歳月なんて関係ないかのように、また訳のわからない生活が始まった。

分かりやすいキャラも役割も立場も必要ない。訳の分からないままで、また分からないものを好きでいられるようになった。


2021年。流刑地エウロパが明日から再演される。
なんの因果か、2020年には円盤に乗る派のメンバーになってしまって、これを今こうして書くのは身内を熱っぽく褒めていることと同義だろうし、演劇の内容とも関係ないし、内輪っぽいしで書くのが躊躇われた。

だけど、あの頃の自分にとっての、初演の『流刑地エウロパ』が何だったかを、書いておきたかった。

きっと、演劇や他の色々な作品に触れる時には、十人十色のきっかけと背景がある。上演する人にも、観に来た人にも、人生がある。

演劇は、ご飯ではない。水ではない。なくても何も変わらない人もいるかもしれない。
けれど、演劇を観に来たことで何かが変わる人もいる。人生という大きな流れでは些細なことかもしれない。でも、良かれ悪しかれ確実に影響はあるのだ。
観てしまった後は、観る前には戻れないのだから。

円盤に乗る。乗ってしまった後は、それが良い体験でも、そうでなくても、以前とは違う自分になる。
人々にとってのあらゆる『円盤』の存続を、思う。

流刑地エウロパ – 円盤に乗る派noruha.net

注1
sons wo:(さんず・うぉー)
2008年設立。カゲヤマ気象台の演劇プロジェクト。
東京と浜松の二都市を拠点として活動する。
ディストピア以後の世界観、現代詩的な言語感覚、おかしみと悲哀のある演出が特徴。
主な作品に『野良猫の首輪』(2013)『シティⅠ-Ⅱ』(2015-2016)など

注2
カゲヤマ気象台(かげやまきしょうだい)
1988年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。東京と浜松の二都市を拠点として活動する。 2008年に演劇プロジェクト「sons wo:」を設立。劇作・演出・音響デザインを手がける。2018年より「円盤に乗る派」に改名。2013年、『野良猫の首輪』でフェスティバル/トーキョー13公募プログラムに参加。2015年度よりセゾン文化財団ジュニア・フェロー。2017年に『シティⅢ』で第17回AAF戯曲賞大賞受賞。

注3
円盤に乗る派(えんばんにのるは)
カゲヤマ気象台を代表とし、2018年にスタートした演劇プロジェクト。カゲヤマが演劇作品を作る際に重視する、日常生活の中の「自由さ」と「豊かさ」を損なうことなく劇場に立ち上げる試みを集団のあり方にまで拡張し、「複数の作家・表現者が一緒にフラットにいられるための時間、あるべきところにいられるような場所」を目指す。 劇場を訪れ、帰っていくまでに体験する全てを「演劇」として捉え、雑誌の発行、シンポジウムの開催など、上演外の取り組みも積極的に行う。2019年より演劇とよりシームレスにつながるためのコミュニティ「円盤に乗る場」を運営中。

↓友人夫婦と同居していた当時の生活については、こちらのZINEで読めます。

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